不安-ENFJ:LBP

LBP理論, ENFJ

どのタイプも成功を享受し、失敗によって苦しみます。

しかし、私たちは同じ成功と失敗に対して、それぞれ認知に応じて異なる反応を示します。

私たちが最も大切にしていること、最も注目していることは、私たちに起こるすべてをどのように解釈するかを無意識のうちに決定します。

 
各タイプは最も深い恐怖、心配、不安に対する反応を持ちます。

それぞれのタイプには、認知ステップの独自の順序に起因する、最も深く、根本的な懸念が1つあります。

 
ENFJの中心的な恐怖は、自身が何を行っても、誰にも重要な影響を与えることができないということです。

自身がどれだけ行動しても、どれだけケアしたとしても、自身の支援、教え、助けは実際には何の効果も生まないことを恐れます。

 
この恐怖は誰にでもあります。

しかし、ENFJにとっては、この心配がすべての根底にあります。

ENFJの弱点

ENFJの第4ステップは「思考」による「①データ」であるため、彼女らは「詳細への理解」と「状況から引き出す結論」が欠けていることを恐れています。

具体的には、自身の結論が経験的な方法(S)において有用な正しさ(T)に欠けていることを心配しています。

自身の状況の複雑さに対する理解が信頼できず、誰の役にも立たないのではないかと恐れます。

 
状況の解釈が十分に「ST」ではないという無意識の心配は、人々が自身を最も必要としている状況において、自身がすべてを考慮に入れることができず、間違った行動を選択し、皆に真の助けを提供することができないのではないかという恐怖につながります。

自身の、助けを提供しようとする試みが常に効果がないことを恐れます。

 
様々な形のストレスやネガティブなことを経験するたびに、心は急いで子供の頃に安全だと思われた場所に戻ろうとします。

これにより、どんなに努力しても、どれだけ気にかけても、すべての努力は誰かを助けることに失敗するのではないかという中心的な恐怖が急増します。

その結果「ENFJのジレンマ」に耽溺したくなる誘惑を感じます。

ENFJのジレンマ

「ENFJのジレンマ」とは、グループ内の全員を幸せにしようとして、残虐さ、利己主義、些細な悪に目をつぶる傾向です。

ENFJは、自身が何かを行っても何の効果も生まないことを恐れ、気にかけている相手が間違っていると分っていても、その相手に立ち向かうことに意味がないと思ってしまうのです。

また、傷ついている人を何度もかばおうと思いつつも、それは問題の根本的な解決にはならないと感じます。

 
ENTJは自身を必要とする人々のために立ち上がって「問題解決に必要な不和」を助長したりはしません。

代わりに、いじめや悪意は実際に起こってはおらず、自身がすべてが大丈夫なふりをし続ければ、誰もがうまくやっていけるだろうと考え、自身のグループには何も問題が発生していないと思いたくなります。

 
しかし、グループ内で争いが生じた場合、最終的に、たいていENFJはどちらかの側の味方になり、通常彼女らは間違っている側に付きます。

中立を保ちたいと切望している彼女らは、自身の人生の中でより攻撃的な人々をなだめていることに気づきます。

 
愛する人同士の意見の相違が争いに発展したとき、ENFJは双方を認めるために何もしないことで、悪意ある行動を意図せず支持してしまうかもしれません。

 
被害者を責めるのは簡単です。「被害者が被害を受けるに値する何かをしたに違いない」と言えばいいのです。

しかし、実際には、いじめや受動的攻撃行動的な嫌がらせが行われ、嘘をついたり、悪口を言ったりする人がいるのです。

それらを受けるに値するようなことはほとんどしていないにもかかわらず、それらの被害を被る人はいます。

 
不安定さによって、人々は自分を不快にさせる相手に対して憤慨し、あからさまに意地悪になります。

しかし、ENFJがそのような攻撃的な態度を無視することを主張するとき、彼女らは攻撃的な人々の側に身を置きます。

 
ENFJは、自身が愛する人があまりにも明るく輝いていると、不快になることさえあります。

不安を抱えている他の人々のレベルまで、愛する人を引き下げようとします。

そうしないと、他の人々が「ENFJが愛する人」に憤慨する可能性があるためです。

 
また、いじめや虐待の被害者が何らかの抗議を行った場合、ENFJは、あたかも被害者が問題を引き起こしたかのように、被害者に背を向けて反応する可能性があります。

 
「ENFJのジレンマ」は、ENFJに自身の大切な専門分野を妨害させ、彼女らはグループ内の全員を同じレベルに保つために、愛する人を支持したり、ときには愛する人に苦痛を与えたりして、グループを引き裂きます。

 
特に不健康なENFJは、自身が関心を持っている人よりも幸せで、賢く、熟練していて、またはより優れていると思われる人を侮辱したり、あざけったりする方法を探すためにたゆまぬ努力を費やします。

これは、ENFJが自身や友人について少しでも気分を良くするのに役立つことはありません。

そして、他者を引き裂く高みから降りた後、最終的に彼女らは自身のグループを助けることができなくなったと感じます。

 
不健康なENFJの存在理由は、誰も幸せすぎたり、成功したり、特別になったりしないようにすることで、人間関係を引き裂くことであり、これはENFJの専門性に直接反対しています。

この究極の矛盾は、自分の最も深く、最も大切な欲望と必死に戦うことであり、控えめに言っても惨めです。

 
しかし、健全なENFJでさえ、物事が困難になると「ENFJのジレンマ」に陥る傾向があります。

グループを幸せにしようとする本質的で意図しない方法として、彼女らは、あまりにも成功した愛する人を絶妙に侮辱したり、あまりにも明るく輝いている友人に対して攻撃をしたりすることがあります。

 
これらの「ENFJの不安」への意図しないスリップは、自身を責めるものではありません。

結局のところ、それらは意図的ではありません。

 
グループの一部のメンバーが他のメンバーに憤慨しているのを見ると、ENFJの心は2つに引き裂かれます。

よって、みんなに上手くやってもらいたいというのは理にかなっています。

しかし、立ち上がって自身の資質を示さない限り恐れは現実のものとなり、自身を最も必要としている人々の人生にほとんど有益な影響を与えない道を選択することになります。

最後に

どのタイプも、自分または自分の愛する人が、すでに望む姿のすべてであると宣言したくなることがあります。

このタイプの不安は、忍耐強く学び、成長し、本当の成功を得ようとするのではなく、すでに目標に到達しているのが当然であるかのように感じようとする誘惑にかられます。

この意識は、「特別でありたい」という善良な願望を歪めてしまう有害なものです。

 
現実には、誰もが等しく、互いに異なる方法で特別になることができ、すべての人がユニークで多様な方法でユニークであることを可能にします。

Posted by melancoly