善と悪-ESFJ:LBP
ESFJはグループ経験の模範であり、関わる人全員が最高の経験をし、全員がグループを個人的に体験できるようにすることを重視します。
彼女らは、行動の見本、どうあるべきか、何をすべきかを示す灯台として輝きます。
ESFJはオープンで、暖かく、現在の瞬間に生きていて、率直で、彼女らはパーティーと落ち着きの完璧な融合です。
繊細で慌ただしい動き、多彩な実用主義、穏やかな皮肉という、動くパラドックス。
ESFJは愛を分かち合うことを選んだどのグループにも、素晴らしいものをもたらします。
ESFJの認知ステップ
1 | 2 | 3 | 4 |
判断 | 知覚 | ||
行動(●) | 原則(○) | 観察(○) | 詳細(●) |
△Fe | ▲Si | △Ne | ▲Ti |
若いESFJは、家族、教師などを、文化・グループの中心と考え、忠実であることが大好きで、愛する人々と人生を経験することにとても満足します。
他者を幸せにすることを喜んで行うESFJは、外から見るとEPタイプに見えることもあります。
彼女らは、陽気で幸せに大切な人たちとの流れに身を任せます。
しかし、子供のESFJでさえ、自身の行動の結果が他者の自身への評価に与える影響をよく理解しており、友人、流行、文化に忠実でありたい(従いたい)という衝動は幼いうちから生まれます。
したがって、ESFJには3つの選択肢があり、3番目の選択肢は他の2つと対立するため、最も一般的に選択されるのは最初の2つの選択肢の組み合わせです。(同じことがほとんどのタイプに当てはまります)
ESFJはグループの模範となることが大好きです。その欲求は本質的に悪いことではありませんが、何が「最も普通」であるか、の基準を設定したいという欲求が、3つの選択肢すべてを提供します。
最初の選択肢は、「最も」普通であることにフォーカスすることです。
この最初の道を歩むESFJは、他者よりも「もっと」普通でいることを望みます。それは自身が他者よりも「価値がある」と感じる程にまでです。
「人々」よりも「人々に自分をフォローしてもらうこと」に熱心なESFJは、最終的には自己中心的で自身を特別であると思っているにも関わらず、常に他人の承認を必要とします。
結局、この第一の選択肢を選んだESFJの指導に従う人々は、ESFJの自己中心的な態度が嫌いになるか、または自分たちのフォロワーを欲しがり、ESFJに弱さの兆候が見られるとすぐにESFJを打ち砕きます。
いずれにせよ、このESFJは本当の友達も、人生の本当の意義も得ずに終わります。
ESFJの2番目の選択肢は、最も「普通」であることにフォーカスすることです。
友人、家族、派閥など、自身の所属するグループや文化を喜ばせることに夢中になるESFJは、好かれるという名目で自身の本当の姿(自身の本質)を犠牲にするのはあまりにも簡単だと気づくでしょう。
特に、現実的なものを犠牲にして表面だけを見ることを望む文化では、ESFJはすぐに、現実や本質を無視し、その文化の完璧な理想像となろうとするパターンに陥り、また他の人に同じことをするよう奨励します。
これらの2つ選択肢では、ESFJは自身のことを偽りで、浅はかで、自分が正当であると感じるために常に承認を必要としていると感じ、また、自身を他者が望んでいるように見せるために本当の素晴らしい自己を抑圧しなければならない不誠実な抜け殻になってしまいます。
しかし、ESFJが代わりに「普通」を再定義するとき、つまり文化の悪い部分に反対し、必要に応じて友人にさえ反抗し、立ち上がって「本物であることが新しいクールだ!」と言うとき、ESFJは強力な模範となり、世界に良い影響を与えることができるようになります。
世界のために、英雄的で、有意義で、幸せになる方法を他者に示し、率先して人生を大切にし、誰かの文化に従うのではなく自分たちの文化を作ることができます。
ESFJは正に、皆の先頭に立つ騎兵隊です。
ESFJの興味はさまざまですが、彼女らは常に他者の欲求やニーズを意識しており、フィクションでは完璧なホステス、スーパーママ、群衆の先頭を行くトレンドセッターとして登場します。
彼女らは、ENFJの親らしさ、ESTJの意志の力、ESFPの快活な性質(bouncy color)を、明るく、暖かく、一途なパッケージに組み合わせます。
ESFJは、楽しさ、専門知識、正確性を組み合わせて、誰もが素晴らしい体験をできるようにすることに優れます。
彼女らは、他人のニーズや欲求を理解するのに役立つE(外向)の人間認識、現在の瞬間を認識できるS(感覚)の強み、「行動」の背後にある「意義」にフォーカスするExFJの性質、そして計画を立てるというJ(判断)の才能を備えます。
ESFJは、全員が配慮され、誰一人取り残されないように気を配り、皆が物事を思い出に残るものにできるようにサポートするのが得意です。
すべてのEJは先を急ぐ傾向(bowl ahead)があり、データや結論に大きな弱点を持ちながらも、自身のことを真剣に受け止めてもらいたいという切実な願望を持ちます。
よって各EJタイプは、「私が ______ すぎるため、誰も私の言うことを聞いてくれないのかもしれない」というさまざまな不安を抱えます。
EJタイプは、第1認知が「行動と結果」であり、第4認知が「データと詳細」です。
よって、行動計画の策定を最優先します。そして、立ち止まって、計画に影響を与えうる物事の詳細を熟考することに弱点を持ちます。
ENFJにとってそれは、「私の善意や人々の人生を変えようとする試みは、私が優しすぎる、ソフトすぎるなどの理由で、決して重要なものにはならない」という恐怖です。
彼女らは、変化をもたらすには自身が弱すぎるのではないか、と恐れており、自身が間違った選択をしても問題は生じないと思っています。
「ENFJのジレンマ」は、彼女らにとっては、「行動の結果」ではなく「周囲の人々」に関する問題であると認識されます。
同様にESFJは、「私は決して本当に賢くなれないし、普通以上にはなれない。だから、*普通*が私が望むことができる最高のものだ」という不安や恐れを持ちます。
彼女らは、自身には平均以上のものになろうとする理由はないと恐れ、自身が英雄主義のテーブルに特別なものをもたらすことができることに気づかず、他タイプのように専門性を発揮するために思考する必要はないと考えます。
ESFJは計画を立てるのが得意ですが、IJタイプのように世界全体のことを気に掛けるよりも、人々との関わりとしての、日々の瞬間の計画を好む傾向があります。
彼女らは、喜んでグループを目的地まで案内しますが、長期的な目標そのものよりも、目標を達成するための進捗状況や方法にフォーカスします。
他者が「素敵」になるのを手伝ったり、手順に従ったり、ほうれん草のパフを作ったり、1杯の紅茶を分かち合ったり…健全なESFJは通常、友達が最高に輝けるよう支援するための独自の特別な方法を用意しています。
ESFJは、自身の行動がどのように人々を傷つけているかを気にしなくなったとき、または自身が支持するグループや文化が目の前の人々に損害を与えていることを気にしなくなったとき、悪に変わります。
悪のESFJは、取り巻きやファンに対して自己中心的なd-bag(嫌なやつ)、ステップフォード・スマイラー(受け入れられるために健全な幸福のイメージを投影することに執着するキャラクター)、気味の悪い主婦、邪悪なセレブ、倒すためなら貴重なショットガンの弾を無駄にしても構わないと思わせる元気にハミングするロボットなどです。
これらはすべて、ESFJの生来の強みである温かい社交性をひねったものです。
ESFJは、「してはいけない」ことの例ではなく、「すべきこと」の例となり、自身が正い行動をしている、とどうやって確信できるの?
それは、真正であることによってです。
すべてがうまくいっていないときに、すべてが大丈夫なふりをしないことで。
人々が計画に従っていないときでも気を配ることで。
たとえ物事が完璧でなくても、誠実であることによって。
そうすることで、ESFJは虚栄心の抜け殻ではなく、経験という輝ける星となることができるのです。
善でも悪でも、強力なESFJは、他の人々の人生に強力な影響を与え、説得力とカリスマ性を持って文化の基準を設定することがきます。