INJ:身体的・生理的欲求
すべてのタイプは、生存への脅威と自己保存への欲求に関する恐れを経験します。
これは特定のタイプに固有ではありません。
しかし、Niタイプ(INFJとINTJ)については、生理的生存(physiological survival)との関係は特に強く、またよく理解されていません。
INFJとINTJは、アーロン氏が「非常に敏感な人(HSP)」と呼ぶ人々が持つ「先天的な過敏性」を持っています。
実際、全てのタイプは自身のinferior functionに関して「非常に敏感」ですが、Niタイプはinferior functionに外向的感覚(Se)を持ち、これにより物理的世界との関係を恐れ、それに混乱し、圧倒される可能性が高いです。
INJの外向的感覚(Se)& 身体
読者の多くは、SeがINJにどのように表れるか知っているでしょう。
実際、過去の記事で言及されていないのは、これらの外的感覚の知覚が、彼女らの第8機能である内向的感覚(Si)に変換されて影響を受ける方法です。
Siは身体のバランスと恒常性の維持に大きく関与しています。
INJの、Niをdominant functionとして分化する要求に加えて、発達の初期に出現するSeへの嫌悪の多くは、望まれない身体的反応(Si)を呼び起こすことへの恐怖と直接結びついていると考えられます。
多くの場合、自身をSe環境の厳しさにさらすことは、何らかのストレスや身体への負担(Siの負担)をかけるリスクがあることを意味します。
特に人生の早い時期に、INJは通常リスクを取る価値がないと考えます。
個性化する要求が無視できないほど大きくなったとき、そして発達の後期になって初めて、Seの魅力はSiを乱すリスクを上回るようになります。
それでもなお、INJはこの問題に関する内的葛藤(Se vs Si)を経験することが多く、身体的危害または不快感のリスクが大きすぎる場合にはリスクを取りません。
INJにとってSiは非常に完全に異質のままであり、第8機能としてINJの制御から外れているため、身体およびそのプロセスに対する極端なレベルの不信感を持ちます。
生理的反応(Si)はよく理解されず、正確に認識されていません。
おそらく「快い」という生理的感情さえも、望ましくないとして定期的に抑圧・却下されます。
他タイプを興奮させる「スリルの探求」は、INJにとって極端な苦痛の源となるかもしれません。
これらは手に負えない胃痛、吐き気、めまいなどの身体的反応を引き起こすかもしれません。
アドレナリンは望ましいとは考えられていません。
したがって、可能な限りストレスを受ける状況を回避することが不可欠です。
新しいことに挑戦し、未知の経験にオープンであるいうことは、身体が望ましくない方法で影響を受ける可能性があると想定することを意味します。
皮肉なことに、これはINJを時々ISJのように振る舞わせることを意味します。
しかし、ISJが(Siに関する)欲求によって動かされるのに対して、INJは(Siに関する)恐怖によって動かされます。
ISJとは異なり、INJの目標は可能な限り身体を意識する必要性を最小限に抑えることです。
INJは自身の身体性に縛られたくないのです。
これは、INJが「継続的な体外体験(continual out-of-body experience)」として捉えている、自認する存在状態の概念を拡張したものです。
INJは特に軽い痛みや不快感が、ある種のSe報酬を達成することを意味する場合には、無意識のうちに軽い痛みなどを長く抑制する可能性があります。
しかし、特に身体的な痛みが顕著であるか長期間続く場合には抑制を止めます。
長期の身体的苦痛は最悪の象徴であり、恐怖の最も深いものと見ています。
これが起こると、INJは身体的苦痛に対処するための備えが不十分であるため、極端なgrip(グリップ)に陥る可能性があります。
彼女らは怒り、疑心暗鬼になり、身体が自身に襲い掛かっていると確信します。(彼女らは「自己意識」と「自身の身体」を全く関連付けない傾向があり、身体を自己とは全く別の実体として見ます。)
いくらかのINJは積極的に懲罰的になり、危険な量の鎮痛剤を服用したり、危険な場所に行くことで、自身をさらに身体的ストレスにさらすよう反応します。
彼女らは自身の身体に対して優しく反応しないことが多く、物事がうまくいかなくなったときに非難します。
マズローの自己実現理論
身体的な不快感(およびグリップ状態)を減らすには、必要不可欠なものへのアクセス、およびそれを提供する能力が必要です。
実際、人類が生存レベルで成功する能力は、最低限、人間の基本的な生理的欲求(食物、水、安全性、セックス、避難場所)を提供する能力にかかっていると考えると、リスクは高くなります(stakes are raised)。
生存レベルで成功する能力とは痛みや苦しみを軽減することだけでなく、単に「生存」することです。
マズローの理論にある程度の妥当性があると仮定すると、ピラミッドの底辺を形成するこれらの欲求は主にS(感覚)領域に分類され、ピラミッド上部の項目はよりN(直観)領域に分類されます。
それぞれのタイプが私たちの欲求と価値観をどのように形づくるかを考慮すると、マズローのピラミッドは特定の個人に適用されると過度に単純化されると主張できるかもしれません。
しかし、種全体の身体的な生存が、単に自己実現のようなこと(ピラミッド上部の項目)だけでは起こらなかったということは事実です。
しかし、INJにとって、感覚世界での比較的な不和と未経験さは、これらの本質的な生存的欲求のいくつかのこととなると、彼女らを不利にすることがあります。
体力や敏捷性を介して環境を巧妙に操作したり航行することは、通常は彼女らにとって実行可能な選択肢ではありません。
そして、間違いなくNiにとってのエネルギーの最も効率的な使用法ではありません。
単に生存するために、どうしても基本的な生理的欲求を満たす方法に集中することを余儀なくされることは、INJが個性化する能力を妨げる以上の破壊的なものです。
ここに、N(直観)タイプに関して特に悲劇と痛ましさがあります。
それは、類型学によれば、彼女らがマズローのピラミッドを本質的に逆にして生きることを意味するように思われるからです。
真正に(自分らしく)生きようとするNタイプは、論理的、知的、形而上学的、精神的事柄にエネルギーを使い、身体的欲求を満たすためのエネルギーの使用を抑えるため、本質的な身体的欲求を満たす手助けを他人に頼るか、世界に期待するかもしれません。
しかし、社会は一般的にN的アプローチにあまり共感せず、彼女らを怠惰、無能として認識します。
この問題に苦しんでいるNタイプが自身を悲しむのは簡単なことかもしれませんが、仕事は主に身体的労働から、コンピュータを使用するものに移行してきており、インターネットはNタイプにとって最も有利なものの1つになっています。
そして、生活水準と健康管理の基本レベルを保証する社会的プログラムが増えるにつれて、INJがとても恐ろしいと感じる世界への認識もまた解決されるでしょう。
Niを象徴する創造力と洞察力は、INJに恩恵をもたらすでしょう。