不安-ISFP:LBP
どのタイプも成功に喜び、失敗に苦しみます。
しかし、私たちは同じ成功と失敗に対して、自身の認知に応じて異なる反応を示します。
私たちが最も大切にしていること、最も注目していることは、私たちに起こるすべてをどのように解釈するかを無意識に決定します。
各タイプは最も深い恐怖、心配、不安に対する反応を持ちます。
それぞれのタイプには、認知ステップの独自の順序に起因する、最も深く、根本的な懸念が1つあります。
ISFPが最も恐れているのは、何も壊れないようにすることなど不可能だということです。
結局のところ、すべてが終わり、死に、壊れ、失われ、そして遅かれ早かれ、自身が大切にしているすべてのものが失くなり、愛するすべての人もいなくなるのではないかと心配します。
このような恐怖は誰でも抱く可能性があります。
しかし、ISFPにとってはこの心配がすべての根源にあります。
ISFPの弱点
ISFPの第4ステップは「思考(T)」による「②原則」であるため、彼女らは世界の広範な複雑性に対する自身の理解が不十分で信頼できないのではないかと恐れます。
具体的には、普遍的な原理…つまり人生が一貫して機能する方法に対する理解が、経験的方法(S)において信頼できず、役に立たない(T)のではないかと心配します。
世界に対する理解が経験的方法(S)において役に立たない(T)
世界に対する理解が不足していて、経験的・直接的な方法で世界と関わる際に、その理解を用いることができない…という意味
ISFPは、人生の不変の傾向に対する自身の理解があまりにも不安定すぎて役に立たないのではないかと心配します。
自身の「世界に対する理解」が十分ではないという無意識の不安は、自分が常に愛するもののために存在し、それを守ることができないという恐怖をもたらします。
最善を尽くしても、それでもいつかは貴重な宝物が指から滑り落ちてしまうのでは…
何らかの形でストレスやネガティブなことを感じたり経験したりするたびに、心は安全だと思われてた子供時代に急いで戻ろうとします。
これにより、すべてが壊れてしまうのではないか、失うことを防ぐためにできることは何もないのではないか、という中心的な恐怖が高まります。
その結果、「ISFPの不安」に耽溺したくなる誘惑に駆られます。
根源的恐怖と不健全さ
各タイプは第4認知に苦手意識を持ち、第4認知が上手く使えないせいで最も望むこと(第1・第2認知)ができなくなる、という恐怖を持ちます。
恐怖が増大してストレスを感じると、第1認知の性質が歪んだ形で表れます。
IP:不健全さ
自身のズームイン視点の洞察を、普遍的な原則に適用することに弱点
↓
世界は大きすぎて理解が難しい、という不安
↓
自身の持つ特定の事象に関する特質(能力)が、世界における意義(F)や有用性(T)を欠くことによって無効となってしまう、という恐れ
ISFPの不安
「ISFPの不安」とは、自身のプライベートな世界に必死でしっかりとしがみついていたいという願望です。- たとえその過程でそれを窒息死させ、すべてを壊してしまうことを意味するとしても -
ISFPが探求したものや集めた宝物は彼女らにとって重要であり、そうあるべきです。
しかし、「ISFPの不安」が問題になるのは、失うことを恐れる宝物にしがみつくのに忙しすぎて、人生の他の重要な分野をおろそかにするときです。
そうなると他者のニーズから目を背け、自身の幸福を守ることだけを気にするようになります。
あるいは、すでに持っているものを守りたいという欲求から、自身の個人的な世界の周りに、美しく、侵入不可能なピケットフェンスを築き、すべてを寄せ付けないようにします。
ISFPが気づかないうちに、彼女らの感情のフェンスの範囲内にあるすべての宝物は無駄になり、外の世界にさらされることに飢えます。
「ISFPの不安」によって、ISFPの専門性は妨害され、ISFPは、すべてをありのままの状態(pristine)に保とうとする無駄な試みの中で、それぞれの物事やあらゆる経験から喜びを奪い去ります。
特に不健全なISFPは、自身の世界をより安全に保とうと、プライベートな世界の外にあるものを貶める方法を探すことに努力を費やします。
ISFPがそれによって気分が良くなるのはほんの一瞬で、貶めの最高潮が過ぎると、結局自分の宝物を安全に守ることができないと感じるだけです。
pristine
純粋、無垢、原初、といった意味があり、自然の美しさや物事本来の状態などの指す言葉として使われることが多い。
なんとなくですけど、ISFPらしい言葉だと思います。
不健全なISFPの存在理由は、オープンでいて、愛するものを大切にし、物事を探求するというタイプの専門性とは正反対で、他者の幸福を破壊し、同時に自分の幸福も破壊することです。
自身の最も奥深く、最も大切な欲求と必死に闘うこの究極の矛盾は、控えめに言っても悲惨です。
しかし、健全なISFPであっても、状況が困難になると「ISFPの不安」に陥ります。
自身を守るための自然かつ意図的ではない方法として、ISFPは自身の宝物を無傷に保つために、自身の世界を窒息させたり、他人を傷つけたりすることを厭わないようになります。
あるいは、どうせ何も壊れないようにすることはできないと考え、超然とし、何も気にしないようになるかもしれません。
「ISFPの不安」の解決策は、自由に手放すことを学び、人生の自然な変化のサイクルに身を任せることです。
経験して楽しむべき瞬間や詳細は常にあるということを忘れないようにしましょう。そうすることで、自身が持っているものを自由に手放すことができます。
手放すことによってのみ、すでに持っている詳細や経験、そしてこれから起こる可能性のある新しいものに、真に自由に没頭することができます。
最後に
どのタイプも、自分または自分の愛する人が、すでに望む姿のすべてであると宣言することに惹かれます。
このタイプの不安は、忍耐強く学び、成長し、本当の成功を得ようとするのではなく、すでに目標に到達しているのが当然であるかのように感じようとする誘惑にかられます。
この意識は、「特別でありたい」という善良な願望を歪めてしまうもので、有害です。
現実には、誰もが等しく、それぞれ異なる方法で特別になることができ、すべての人が多様な方法でユニークであることを可能にします。